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さすらいの天才不良文学中年

さすらいの天才不良文学中年

目の手術 恐怖の内視鏡検査

左眼の手術(その1)

 満身創痍というのだろう。


秋の花1


 頚椎ヘルニア、下血に続いて、今度は左眼の手術である。4月21日(月)午前10時、TK大学医学部付属溝口病院に入院した。

 元々、左眼は黄斑上膜という少々難しい病気で5年前に手術している。その術後になりやすい症状が出たのだ。何、単純な話しで、人口水晶体(レンズ)が時間の経過とともに下にずれてきたのだ。

 5年前にTK大学医学部付属病院で手術して以来、大手町の某診療所で3ヶ月に一度定期的に眼底検査をしてきた。その検査で人口水晶体のズレ落ちを指摘されたのである。

 では、どういう手術かというと、人口水晶体を眼球に縫い付けるものだという。3ヶ月前に聞いたときは、その野蛮さに思わず震え上がったものだが、背に腹は代えられない。それに間の悪いことは続くものである。行きつけの診療所がビルの立替で閉鎖になるのだ。

 そこで、主治医のO先生にお願いして、TK大学溝口病院のK先生宛の紹介状を書いてもらうことにした。おいらの眼の手術をしていただいた執刀医である。日本の眼科でナンバーワンの実力を持つという名医である。K先生に執刀していただくというので、当時、随分心強かったのを今でも覚えている。その先生がTK大学の溝口病院に移っておられるのだ。

 ではどうして、人口レンズが下にずれたのか。それは、人口レンズを支える筋肉が劣化して、落ちそうになってきたのだ。これは、彰子体(眼球のこと)の手術をした場合や強度の近視の場合になりやすいらしい。

 手術の内容は、人口水晶体を眼球に縫い付ける(水平に2箇所)という、おぞましいものだが、結局、手術とは、執刀医の先生との信頼関係に他ならない。前回の手術のときもK先生を信頼して手術を受けた。今回もその先生に執刀していただけるのだ。心強く思わない訳がない。

 ま、それで今回は1週間間程度の入院ということになったのだが、さて、どうなることやら(続く)。


左眼の手術(その3)

 手術日の当日である。


花


 手術は本日4件。おいらは3番目であり、午後2時ごろのスタート予定だ。午前中、2回検査がある。朝8時20分の一回目の検査で左眼の上に赤のマジックで赤丸を書かれる。志村けんのバカ殿のようになる。

 と、ここまで書き、手術前の点眼(ミドリンPとネオシネジン)を始めた。この点眼、手術まで30分置きに必要となる。

 さて、この後、午後2時半から手術になったのだが、術後は眼を絶対安静にする必要がある。また、当分の間、長時間パソコンに向かうことを避けなさいと医師から指示されているので(実は今もそうであるが)、この後の原稿がまだ出来ていない。

 そこで、今日はまことに申し訳ないが、ここで一旦お開きにさせていただき、明日と明後日は、手術前に書き溜めていた入院雑感をお送りする。

 したがって、翌々日より、おいらの眼の手術についての報告を再開するので、お許しあれ(続く)。


左眼の手術(その4=入院雑感1)

 番外編である。


秋の花3


 入院患者に「良く眠れますか」と聞くが、はっきり云って眠れない。おいらもまさかこんなに眠れないとは思わなかった。

 理由は簡単である。

 病院が眠らないのだ。四六時中、看護士呼出しのためのピンポンが鳴っている。患者が廊下を勝手に徘徊する。隣のおっさんのいびきがうるさい。夜中に起きだすアホがいる。これでは安静にするなど土台無理である。

 特にこの2月、下血でICUに入室し、一晩を過ごしたときなどは凄まじかった。電気は一晩中付いているわ、心電図や血圧計で体中はぐるぐる巻きにされているわ、その機械が一晩中鳴りっぱなしであるわ、向かいでは看護士が一晩中待機しているわ、で寝るどころではなかった。

 実際、前回の眼の手術では、個室に入っていたのだが、差額ベッド料が一日約2万円であった。冷静に考えれば、高級ホテル並みの料金である。当時は保険に潤沢に加入していたのと社内福利制度でその費用を賄えたので問題はなかったが、今から考えれば、あれは安静代である。

 今回は個室にする必要はないと思い、大部屋にしたのだが、成程、個室の効用はこういうことであったのかと悟ったのである。

 なお、介護施設の個室は、暴れたり、夜中にも大声をあげる人たちを優先して入れる(勿論、値段は高いが)。これは逆に大部屋の人たちを喧騒から避けるための知恵である(続く)。


左眼の手術(その5=入院雑感2)

 番外編の二つ目。


夕顔1


 間が悪いとは、このことである。入院の前週に母の介護で腰を痛めた。この痛みのピークが入院初日にやってきたのである。正確に云うと、腰の痛みおよび背筋、腹筋の筋肉痛である。

 腰痛の原因は、母をベッドから車椅子に移そうとして落としそうになったからである。案外、この動作が難しい。本来、ヘルパーさんに頼めば良いのだが、ヘルパーさんは忙しい。コツさえ掴めば難しくないと過信し、ついつい、自分でやってしまうのである。

 しかし、好事魔多し。母をベッドに座らせたまでは良かったのだが、車椅子に移すときに一瞬のタイミングをはずしてしまった。母がベッドと車椅子の中間で動かなくなってしまったのである。

 落としてはならない。母の膝がやられる。このため、相撲のうっちゃりのように母を抱きかかえた。しかし、母は重くてびくともしないのだ。大声でヘルパーさんを呼んだが、誰もやって来ない。数分後、危険を察知したヘルパーさんがやって来て危難を凌いだのだが、このときに背中と腰を思い切って痛めた。

 こりゃ、辛かった。腰の痛みは当日から猛烈に襲ってきたが、背筋と腹筋の筋肉痛は三日目辺りからやって来た。

 とほほ。こりゃ、老化現象も極まれりである。若いころの筋肉痛は当日から痛むのだが、それが年を取ると、翌日からになり、さらに老人になると翌々日からになるのだ。

 それにしても背筋と腹筋の痛みは凄い。咳が出来ない。寝返りが出来ない。ベッドから起き上がれない。身体を不用意に曲げると激痛である。えびぞると、死にそうになる。

 文字通り、這いながら、手術を受けたのである。

 しかし、よくもまあ、こんな身体で手術をしたものだと思う(続く)。


左眼の手術(その6)

 さて、手術である。


薔薇


 車椅子に乗せられ、オペ室に移動する。左腕には点滴がつながっている。

 入り口の上部に手術室と大きく書かれた自動ドアが開く。手術室に入ってからも三重のドアになっており、少し待たされてやっと手術台の隣に通される。

 中央に担架のようなベッドがあり、そこに寝かされたのである。しかし、おいらは腰と背中が痛い。いや、激痛である。だから、執刀する教授や先生方に「腰痛なので…」と訳の分からないことを云いながら、ゆっくりと這うように横になる。寝返りも出来ない腰痛である。おっと、手術中の寝返りは厳禁であるが。

 真上に、昔テレビのベン・ケーシーでしか見たことがないようなライトが眩しく輝いている。

 そう思っていると、左手人差し指に血中の酸素濃度を測る機械が取り付けられた。次に右腕には血圧計、そして、胸には心電図の配線である。体中、配線でグルグル巻きである。

 さて、若い先生がおいらの左首の後方に麻酔の注射をされる。これが思いのほか痛い。思わず、「痛い」と口走ってしまった。おいらも修行が足りない。

 続いて執刀していただくK教授の登場である。教授が眼の下に麻酔の注射を打たれる。実は前回の眼の手術の最中のとき、痛くなったので、おいらが「痛い」と発したら、教授は少しも騒がず、「我慢しなさい」とだけのたまわれた。名医は違うのである。

 今回もそれを思い出し、少し痛いのを我慢する。武士は食わねど高楊枝(続く)。


左眼の手術(その7)

 局部麻酔である。


DSC00794.JPG


 眼は見えるし、耳は聞こえる。メスが眼の中に入ってくるのも見えるのである。

 病院によっては、この手術、全身麻酔とすることもあるという。しかし、無駄に全身麻酔などするものではない。それに、全身麻酔は麻酔事故が起きないとも限らない。TK大学は手術のレベルが高く、局部麻酔で十分と考えているのだ。

 さて、左眼の上から大量の水が流れてきた。洗浄である。

 そうこうしているうちに、眼の部分だけ開いた緑色のカバーがおいらの顔全体にかけられた。いや、かけるというより、貼り付けるという感じか。

 これでは、まだ瞼が閉じられる。

 当たり前だが、手術中は瞼を閉じてはいけないのである。そりゃそうだろう、メスが眼球に入っているのに、瞼を閉じたら怪我をするではないか。だから、手術中はず~っと眼を開けていなければならないのである。

 え~、そんなこと出来る訳がないよぅ。

 しかし、ご安心なされい。瞼を閉じないように、眼の部分にシールのようなものが貼り付けられるのである。

 これで、眼がパッチリと開けられた。さあ、何時でも手術が可能である。矢でも鉄砲でも持ってこい(続く)。


左眼の手術(その8)

 いよいよメスが眼の中に入る。


花と蝶3


 局部麻酔だから、メスが左眼の上部から眼の球の中に入ってくるのがハッキリと見える。ズブリとメスが眼の中に入った。グギャ~。痛くないはずなのに、脳からは恐怖の信号が送られて来た。ヤメテ~。

 しかも、眼の球に三箇所の穴が開けられた。

 メスが入る穴、明かり取り用の光ファイバーの穴、眼球圧を保つための還流液が入る穴である。三度、グギャ~。

 教授はおいらの剥がれそうになっている人口水晶体(レンズ)を取り出そうとしている。しかし、これに時間がかかった。ずれ方が激しいからかも知れない。

 そして、左眼の網膜(黄斑)の上に残る黄斑上膜を除去し、再び新しい人口水晶体を眼球に縫い付ける。縫う箇所は、人口水晶体の水平部分二箇所である。

 その間、手術中のK教授の会話がリアルに聞こえてくる。

「カミソリをください」

 え~、カミソリで切るの? 勘弁してよ~。

 しかし、これまで二回も手術をしているので、今回は余裕がある。痛みも幸いない。手術を楽しもうと居直る。しかし、威勢の良いのもここまで。やはり、体中を固定されており、眼球にはメスが突き刺さっている。この状態は耐えられない。

 ただし、良いこともある。

 眼球の中のシーンであろうか。光ファイバーが点灯されているので、深海の中のような映像が見えるのである。グランブルーの世界だ。三葉虫や空飛ぶ龍や幾何学模様が宙を舞っているのだ。孔雀の羽根模様も飛んでいる(続く)。


左眼の手術(その9)

 さて、ではこの手術中、おいらは何をしているのか。


DSC00211.JPG


 何もしないのである。いや、正確に云うと、何もしてはならないのである。ただひたすら身体を固定し、手術の終わるのを待たなければならないのである。

 担当の看護師さんに実際にかかった手術の時間を尋ねたところ、丁度一時間だという。つまり、一時間、ひたすら同じ姿勢で絶えなければならないのである。

 この一時間というのが、短いようで長い。心身を鍛錬すれば短くなるかも知れないが、おいらは心身など鍛錬したことがないのである。

 こりゃ、ある意味で辛い。我慢比べのようなものである。しかも、脳は明晰である。我慢比べをしながら、カミソリの恐怖に耐えながら、時間の経つのを待つのである。

 さらに、五年前の前回の手術では二回手術したと書いたが、二回目の手術はきつかった。二回目の手術は最初の手術後、六日目だったので、麻酔があまり効かなかったのである。

 これじゃあ、まるで拷問だよ~ん。

 と云っても、そうしなければ眼は治らないのだから厄介なのだ。

 冷静に考えれば、手術時間は一時間。しかも、両手両足は固定されて動かせない。眼球にはメスが突き刺さっている。この状態は決して変えられない。

 そう思った瞬間、体中が金縛りとなって、緊縛恐怖症になるのである。

 うわぁぁぁぁぁ~、頼むから誰かおいらを助けてくれぇ(続く)。


左眼の手術(その10)

 では、この非常事態にどう対処するか。


花


 おいらは日頃、ストレスが溜まった場合、最も効率の良い方法は、お風呂と歌だと考えている。

 手術中には風呂など入れないが、歌を口ずさむことは可能である。

 そうだ、歌があるのだ。

 こういうときにぴったりの歌は、テンポの速い歌だ。テンポが遅いと時間の経つのが遅くなるのである。しかも、リズムが良くなければならない。リズムがギッコンバッタンでは、テンポが速かったとしても、歌が前に進まない。

 とどめは、内容も調子の良い歌でなければならない。この三要素が備わった歌をおいらは「按摩ソング」(リズミカルに按摩をして貰っているような軽快な歌)と呼んでいるが、このような歌、そうそうあるものではない。

 昔、遠藤周作は、この三要素の備わった曲として「おサルのかごや」を紹介していた。慧眼である。したがって、この名曲を繰り返し歌っていれば、手術はあっという間に終了である。

 とは、いかない。

 如何せん、曲が単調である。それにこの曲への思い入れがあまりない。やはり、こういう場合の曲には、個人個人の思い入れが必要である。

 そこでおいらは、何時の間にか「スーダラ節」(植木等とクレージー・キャッツ)を口ずさんでいた。心の中でこれでもかという位、大声で歌った。

 おいらが中学生のとき、心底、腹を抱えて笑った植木等の「スーダラ節」。

 おいらはいつの間にか田舎の制服を着た中学生に舞い戻っていた。父や母や弟たちの家族全員が卓袱台を囲み、テレビのクレージー・キャッツを見ながら大笑いしていた情景が目の前に蘇った。

 懐かしい昭和三十年代だ。死んだ父や優しい母や鼻を垂らした一番下の弟までが昔の姿のままで必死においらに声援を送ってきた。ガンバレ、ガンバレ、ガンバレ、にいちゃん。おいらは声援に応えるように「スーダラ節」を何度も何度も口ずさんだ。

 おいらが一番心の温まる「スーダラ節」を歌っている間に、おいらの手術は無事終了した。所要時間、丁度1時間であった(続く)。


左眼の手術(その11)

 さて、総括である。


花


 手術は無事終了し、退院した。入院8日目であった。

 手術後、一番恐れたのは、眼球内で出血することであった。今回は、人口水晶体を縫い付ける手術である。特に、繊細な瞳孔の近くを針で縫うのである。出血しない方がおかしい。今でもそのことを書きながら、痛そうに思う。

 しかも同時に、網膜(黄斑)上に残っていた膜の除去も行ったのである。

 さて、五年前に行った黄斑上膜の除去手術では、手術後に出血し、その血が眼球内に留まったため、全く左眼が見えなくなってしまった。そのため、眼球内(の血)を洗う(ウオッシュ・アウト)という手術を再度受けている。

 このブログにも書き込んだが、二回目の手術は一回目の手術と期間があまり空いていないから麻酔が効きにくくなる。だから、それだけは避けたいと願っていた。今回は幸い出血がなかったので、一安心である。

 ただし、術後、左眼の眼圧が4まで低下した(標準値は20以内)。眼圧が下がりすぎると、眼が潰れる恐れがあるのである。また、潰れなくても、網膜が剥離する可能性がある(もっとも、眼圧が正常値に戻れば網膜はまたくっつくらしいのだが…)。

 さらに、手術後の夜中に左目が腫れ、痛みが出たのである。しかし、痛み止め(ロキソニン)を服用し、患部を冷やすと、痛みと腫れが引いた。通常は、入院5日間前後で退院するのだが、その様子見もあって、今回は8日目の退院となった次第である。

 ところで、入院中、酒が飲みたかったかどうかについて書く。

 結論から先に述べると、人間は環境に順応する。だから、入院すると酒を飲まなくても全く平気となる。これは凄いことである。環境の持つパワーである。しかし、この力、両刃の剣でもある。

 どういうことかと云うと、退院すると直ちにそのパワーが消えるのである。簡単に酒飲みに戻ってしまうのである。

 したがって、刑務所に入っても同じことが云えるのではないか。酒を飲まなくても平気になるはずである。だから、酒を飲ませろという暴動が全く起きないのである。

 東映のヤクザ映画を見ていると、ムショ(刑務所)に入っていても誰も酒を飲まない(当たり前だが)。それが一転して、出所すると、豪華な出所祝いで皆酒を飲んでいる。

 それが、全然違和感のないことが今回の入院で分かったのである。はい(続く)。


左眼の手術(その12=後日談)

 さて、無事退院したのだが、翌日、今度は眼圧が急に上昇し(45まで上がった=一般に20以上は危険値)、再び顔が腫れた。


花


 これには参った。

 翌々日、通院し、眼圧を下げる薬(ダイアモックス)を貰って、安静にすることにした。薬のお蔭で平常値に下がり、腫れも引いた。

 先生の話しによれば、眼球の中をいじくっているので、本当に安定するまでには1ヶ月はかかるだろうということである(左の眼鏡レンズも買い替えになるが、2ヵ月後まで待った方が良いみたい)。

 お酒もまだ、ほどほどにしなさいということで、快気祝いはまだ先になりそうである。

 ま、日にちが薬で、じっと良い子をしているのである。トホホ。


 もう一つ。

 実は、今回の手術中、スーダラ節を唄いながらも、「心頭滅却すれば火もまた涼し」と考えていた。やはり五年前に手術を経験しているので、余裕があったのだ。

 そうすると、何時の間にか人生を考えていた。自分を振り返っていた。

 特に今回は、おいらの人生後半の手術であり、このまま失明したり、万が一死んだりしたら、人生で遣り残したことがあるということを肝に銘じたのである。

 それに何よりも、まだ人生を充分には楽しんでいないではないか。今後の人生では、本当に遣りたいこと以外はしてはならないのだ。自分の心に素直にならなければいけない。そうしなければ、再び馬齢を重ねることになる。とにかく、精神的な喜びを大切にしなければ。

 この気持ち、決して忘れまじ。

 そう悟った手術でもある(この項終わり)。


大腸の内視鏡検査を受ける(前編)

 昨年2月に下血をした。その顛末はこのブログでも紹介している(病気のデパート「下血騒動記」参照)。

 そのときに「毎年1回、腸カメラを入れましょう」と先生から云われていたのである。また、今年の春の定期健康診断で、大腸検査の結果が再び陽性であったのだ。

 こりゃ、まずいわ。

 大腸のポリープは悪性の場合、1年もほっておくと大変なことになるらしい。だから、ポリープのある人は1年に1回、危険性がある人は半年に1回、腸カメラを入れる方が良いのだという。

 覚悟を決めるしかない。

 おいらの主治医である横浜R病院のC先生のアポを取り、再び大腸の内視鏡検査を受けることにした。先週のことである。


エニマクリン


 1年前の内視鏡検査は下血が原因であったので、腸カメラを入れる前日の作法などない。問答無用の検査であった。しかし、今回は前日から腸をカラッポにする準備をしなければならない。

 写真は前日採った食事(検査食=注腸食「エニマクリン」(グリコ))である(1,575円)。

 三食ともレトルトである。中身は朝食と昼食とがお粥、夕食はスープのみである。

 塩気がないからだろうか、これが全く不味い。いや、味気がない。

 ところで、この食事は自分で用意しなければいけない。おいらは検査の前日と当日の二日を休みにしたので苦労しなかったのだが、会社勤めの人が職場でこれを食べるとなると、ちょっと面倒だろうなぁ。

 食事はこのエニマクリン以外は一切食べてはいけないのである。ただし、お茶とお水はいくら飲んでも良い。また、「エニマクリン」付属の間食(「ビスコ」やゼリーなど)だけは食べてもよい。余談だが、この間食は意外にいける。干天に慈雨。

 酒はもちろん不可。ま、一種の難行と思うしかない。

 そうして、就寝前(夜9時ごろ)に下剤(ラキソベロン10ml)を飲まなければならない。これがまたヒマシ油のような味で不味いのである(この項続く)。


大腸の内視鏡検査を受ける(中編その1)

 検査当日は朝から何も食べてはいけない。ただし、前日に引き続き、お茶とお水は大丈夫である。水分の補給が出来るのは助かる。


志功梟


 さて、当日は朝の8時50分までに病院に到着しなければならない。午前中に腸を空っぽにし、午後から検査を受けるからである。

 8時半、愚妻の運転する車で病院に到着。病院の入口に設置してある自動受付機に診療カードを差し込み、予約表を受け取る。消化器系の受付窓口まで歩く。

 受付のおねえさんに予約表を渡すと、「自動血圧測定器で血圧を測定し、問診表を持って処置室に入って下さい」と云われる。

 血圧値を計測すると正常であったので、ドアを開けて処置室に入る。さほど広くない部屋に先客が一人いた。人の良さそうな高齢の男性である。挨拶をしていると、ヒッチコックの「鳥」のように人数が増えて行き、何時の間にか部屋の中には8人が集合していた。

 うへ~、一日に8人も検査を行うのだ。ま、これほどの大病院だから、それでも少ないのかも知れない。

 皆で他愛もない話しをしていると、既に9時過ぎである。女性看護師が登場した。

 これがビリー隊長であった。テキパキと仕切るのである。内視鏡検査のため、一人残らず大腸をカラッポにさせなければならないのである。脱落者をだすと、本人は検査が出来ないのである。だから、ビリー隊長は、これからおいらたちに何をしなければならないかを真剣な形相になって30分以上に渡り、克明に指示するのであった。

1.机の上には、「問診表」、「血圧計測表」、「便の状態確認表」、「ニフレック(下剤)」、「コップ」以外置かない。

2.「ニフレック」の飲み方は従来と異なり、一気飲みは不可。10時から12時までの4回に分けて500ミリリットルずつをダラダラとしたペースで飲み続ける。

3.「ニフレック」の容器は昨年までペットボトルであったが、現在は「点滴用の袋もどき」になっているので、コップに移すときにこぼさないようにしなければならない。被験者が何も聞かないでコップに移すと、10人が10人とも「ニフレック」をこぼしたという実例を聞き、ビビる。ヒエ~!

4.「ニフレック」を飲む前に攪拌する(混ぜる)。コップは400ミリリットル用だが、1回200ミリリットルまでしか入れてはいけない。そうしないと下剤成分が下に沈殿する。ウヘ~。

5.1リットル飲んでもお通じがない場合は、ナースコールで看護師を呼ぶ。呼ばないで、そのまま飲み続けると、腸が破れて緊急手術をしなければならなくなることがある。怖いよ~。

6.下痢状の便となるので、その便がカスなしで透明状態となり、それが2回以上になれば、検査前処置完了となる。このカスなしとは、便が米粒状以下の大きさになることをいう。なお、自動センサーが働いて、便を確認する前に自動的に流されることがあるので注意しろとのお達しもあった。おいおい、最近は皆自動センサーだよ、トイレに中でもうかうかしてはいられない。

7.トイレには早めに行くこと。病院内のトイレの場所が書いてある地図がここにあるので、必ず自分の目で確かめておくこと。先日、トイレの場所が分からず、40代女性がお漏らしをしたのだが、替えズボンがなかったので、病院の売店でゴムズボンを買うはめになったとの恐ろしいエピソードが披露された。まずいよ、下着の替えしか持って来ていないよとおいらは心の中で呟く。

8.「ニフレック」を飲みきるまでは、水は飲んではいけない。

などをビリー軍曹に説教されるのである。ハイ、ワカリマシタ。

 質問はないかと聞かれたので、おいらは「『ニフレック』は生ぬるくなると飲みにくいから、冷やしても良いですか? また、氷はあるのですか?」と尋ねると、「隣の部屋に冷蔵庫があるので使って結構です。氷は、衛生上の観点から廃止しました」との返事が返ってきた。何もかもテキパキしている(この項続く)。


大腸の内視鏡検査を受ける(中編その2)

 時刻は、午前10時前である。


志功


 いよいよ恐怖の下剤「ニフレック」2リットルを飲み始める。この下剤、専門用語では「特殊腸管洗浄液」というらしい。

 何が特殊なのかは不明だが、メーカーは「味の素」。

 両手で「ニフレック」を持ちながら恐る恐るコップに注ぐ。こぼさないで済んだので、ひとまず安堵する。まずは、一口飲む。不味い。筋金入りの不味さである。昨年飲んだときは、レモン味だと思っていたが、味はない。辛口のヒマシ油である。

 味の素さん、レモン味にしなさい! 容器もペットボトルにしなさい!

 ゲップが出る。

 これでトイレに駆け込むことになるはずだが、今朝は起床後お通じがあったので、トイレに駆け込む気配は全くない。

 昨年もこの「ニフレック」を飲んでいるので、記憶を辿ると飲み始めて20分程度で最初の下痢をしたことを思い出した。だから、「お通じよ、早く来い~」と念じながら「ニフレック」をチビチビと飲む。

 何もすることがないはずだから、塩野七生の文庫本を持参していたのだが、部屋の中は8人である。おいらのように付添がいる人を合わせると、部屋は満杯であり、本など不要である。つまるところ、井戸端会議に花が咲く。

 これがほとんど病気自慢である。どうして大腸検査をするのかのオンパレードである。こういうときは、重症患者ほど態度が大きくなるのである。おいらのように定期健診などは肩身が狭いのである。

 しかも、2リットルというのは半端な量ではない。いくら飲んでも減らないのである。

 昔、サッポロ・ジャイアントというビールがあったが、あれである。ご存じない方に解説をすると、サッポロ・ジャイアントとは、ボトルネックは通常のビールと同じだが、瓶の部分がビールの大瓶3本分という超肥満体のビールである。

 このジャイアント、おいらが学生時代には人気絶頂で、コンパでは必ず置いてあった。これが、いくら飲んでも減らないのである。ま、大瓶1本でも結構お腹が大きくなるからねぇ。

 さて、そうこうしているうちにトイレに駆け込みとなった。「ニフレック」を飲み始めてから丁度20分後であった。

 しかし、この後、ほぼ10分置きに14回もトイレに駆け込むとは思わなかった。しかも5回目からは、ジェット噴射である。これでは気を付けないとお漏らしをしてしまう。更に、回数が重なってくるので、段々お尻が痛くなってくる始末である。

 そうして、とうとう最後は足元もヨロヨロになった。こりゃ、脱水症状だよ~。しかも、下痢でお尻が痛い。大丈夫かなぁ~。

 時間は既に午後1時を回っている。飲み始めて3時間を経過していた(この項続く)。


大腸の内視鏡検査を受ける(後編その1)

 検査は午後1時からの予定であった。


志功


 しかし、8人もいると、その中にはほとんどお通じがない人もいる。下剤が効かないのである。女性のケースが多いようだ。現に今回も中年のオバサンが「全く出ない」と居直っておられた。「出ないものは出ない!」いやはやご立派である。

 このため、おいらのように準備万端の人間もいれば、まだ時間がかかる人などのバラツキが出ているのだが、看護師さんは護送船団行政をここまでとし、1時20分に、まず第1陣としておいらを含めた5人を三階の検査室に行っても良い合格にした。

 三階の受付に到着する。そこで順番札を貰うと、おいらは4番である。ここでも再びおいらはトイレに行く。下痢が慢性化しているのである。

 そして、渡された問診表へ記入する。主としてアレルギー関係の質問が主である。おいらはアレルギーがないので、ほとんど書くことがない。備考欄に何か書けとあったので、前回の検査で難儀だったことを書いた。

 実は前回、入口の部分で時間がかかったのである。S字結腸の部分で腸カメラがなかなか中に進まなかったのである。したがって、普通2、30分で終了する検査が1時間もかかってしまったのである。だから、なるたけ短い時間にして欲しいと書きこんだのである。

 4番の番号を呼ばれて、奥に行く。

 看護師さんから検査衣を渡される。作務衣のような上着と半ズボンを貰う。良く見ると、どちらも紙製である。なるほど、使い捨てとは合理的な仕組みである。

 更衣室を教えられ、そこで着替える前にもトイレに行く。しかし、下痢はもう打ち止めにして欲しい。そうでないと検査中にお漏らししてしまうではないか。

 更衣室で服を着替える。シャツはそのまま着用である。パンツを脱いで、半ズボンをはく。ズボンは後部に穴が空いている。これは恥ずかしくないから良い。

 検査衣に着替えた後、検査室の前のベンチに座る。ここでも先ほどの処置室で一緒だった高齢のオジサンと同席となる。高齢者との話題は、どちらからともなく病気の話題になり、それで盛り上がるのだからしょうがない。

 そうこうしているうちに再び名前を呼ばれ、検査室に入る。主治医のC先生が待っておられた(この項続く)。


大腸の内視鏡検査を受ける(後編その2)

 さて、いよいよ検査開始である。


志功


 検査室には先生と看護師の二人がおられた。おいらはベッドに横向きになって寝る。ベッドの前にはモニターがあり、腸の内部が見えるようになっている。

 左手前に先生の机があり、先生はパソコンを覗きながら、「あれからもう1年以上経っているのですねぇ。ついこの間のような気がしますが…」と話し掛けてくれる。先生がおいらのことを覚えていてくれたと思うと嬉しくなり、これでリラックス出来た。

 患者はこういう他愛無いことで医者を好き嫌いになるのである。

 最初に注射である。腸の動きを止めるための注射のようだ。腸はぜん動運動をするのである。前回もそうだったが、腸カメラはファイバーで真直ぐであるのに対し、腸は蛇腹構造で前後左右に動こうとするからである。

 この注射が痛い。しかし、看護師さんがテキパキと打つので、あっという間に注射は終わる。

 いよいよ内視鏡が入って来る。最初に水が注入されたようだ。前回もそうだったが、最初に入って来る感触がすこぶる気色悪い。しかし、今回は問診表に書いたからか、スムーズにS字結腸を通過したようだ。

 眼鏡をかけたまま横になっているので、モニターを通じて腸の中が丸見えである。我ながら、自分の体内を見るというのは、不思議な感覚である。一種の小宇宙である。「ミクロの決死圏」を思い出す。

 ところで、おいらのお腹はどうなっているかというと、お腹が張るのである。腹の中から付き上げられている感じがして痛い。体内に固いものが入っている感じがして(実際そうなのだが)、腸がぜん動運動をするたびに痛い。

「痛い」と叫ぶと、先生が「リラックスしてください」と云われる。深呼吸すると心なしか楽になる。

 で、腸の中はどう見えているかと云うと、これが憩室炎(腸の内側にへこみがある症状)なのである。腸のところどころに穴が空いているよういに見えるのである。それに小さなポリープもいくつかある。しかし、見た目ではどこにもガンはない。

 しかし、このポリープが曲者なのである。だから、良性か悪性かを調べるということで、ポリープの組織を採取してもらった。目の前で採取するのだが、そのたびにポリープから少し血が出ている。でも大丈夫。腸は直ぐに血が止まるのだそうだ(1週間後に検査結果が判明)。

 そうこうしている内に無事、検査は終了。時間にして約25分。良かった、良かった、今回は短かったのである。

 おお~、終わったぞ! 今夜は酒盛りじゃ!と心の中で叫びながら、先生にお礼を云って検査室を退出したおいらであった。フラフラになって着替えると、看護師さんから紙を渡される。

 読んでみると、「組織検査をされた方は、本日の入浴、運動、飲酒を控えてください」とある。

 え、え~! 今日は禁酒かよ~!

 とほほ。内視鏡検査という偉業を達成したのだから、許してくれよ~。

 ま、腸を痛めたのだから、仕方あるまいのぅ。帰宅後は仮眠し、夕食はお粥とした。

 このお粥が五臓六腑に沁み渡った。美味かった。あの味は忘れられない(この項続く)。


大腸の内視鏡検査を受ける(番外)

 以上で恐怖の内視鏡検査の顛末は終わりである。


志功 痴人の愛


 総活。

 やっぱ、体が弱る。検査前日から検査食になり、当日の午前中は半日かけて下剤を飲み、腸をカラッポにするのである。

 その後、体に異物を入れるのである。しかも、組織検査がある場合は、腸の内部から組織を摘まむ(取る)のである。これで体に良い訳がない。

 元気な人でも変調を来すと思う。

 おいらも体が頑丈な方ではない。だから、今後も検査をするのであれば、検査の前から気力体力を充実させておいて、検査後は翌日会社を休む方が良いだろう(金曜日に検査と云うのも一つの手である。土日で回復する)。


 ところで、今回の奇妙な成果は「8人の連帯感」である。

 本文で何度も書いたが、処置室で一緒になった皆さんはいずれも人の良さそうな人ばかりであった。

 それが、2リットルの下剤を皆仲良く飲むのである。しかも、病気自慢で話題が盛り上がる。これで連帯感が生まれない訳がない。

 それに、中には貴重な話しをしてくれる人もいる。

 高級住宅街にお住みではないかと思われる高齢のご婦人が、自宅に泥棒が入ったと云われるのである。

「東電、東電、漏電です」

 そう云われれば、誰でも玄関のドアを開けざるを得ない。東電が漏電だと云えば、不信には思わない。セコムしていても無駄である。

 東電の職員を家に入れる。

 テキパキと作業道具を出し、「漏電の検査は危険です。検査をしている間は安全のため、二階に上がっていて下さい」と云われ、そのまま二階に上がっていたら、金目の物を持っていかれたのだそうだ。

 近所も同じ手口で皆やられたらしい。う~む、コソ泥も知恵を出すものじゃの~。我が家も気を付けます。ハイ!(なお、東電の職員が事前に連絡をしないで、戸別訪問をすることはないそうである。安心されたし)。

 そういう内輪の話しも出るのである。

 ジーン・ハックマンの主演した「ポセイドン・アドベンチャー」を思いだす。登場人物たちが逃避行を続けているうちに全員に連体感が生じ、映画の観客が自然に感情移入して行くのと同じ構図である。

 皆で頑張ったのである。内視鏡検査、これで今後またあったとしても乗り切れる。皆さん、ホントにお疲れ様でした(この項終り)。


大腸の内視鏡検査を受ける(結果編)

 さて、昨日(6月9日)、おいらの内視鏡検査で取った組織検査の結果が判明した。


瘋癲老人日記3


 結論から述べると、昨年に引き続き、良性でも悪性でもない「グループ3」であった。

 このグループとは組織の異型度を表し、「1(良性)」から「5(悪性=がん)」まである。おいらの「3」は、その中でもモデレートと云う範疇だそうで、まあ心配は無用とのことである。

 ご同慶の至りである。

 しかし、ポリープがあることは事実なので、一年に一度は今年同様に内視鏡検査を受けた方が良いという。ハイ、来年もC先生を頼って、検査にマイリマス。

 なお、昨年と比較して大腸が格段に綺麗になっていたようだ(憩室が大幅に減少していた)。これは食生活の改善によるところが多い。C先生に勧められて、この一年間は和食中心の食生活にしたからである。年を取っても、体は蘇生するのである。

 日本人に大腸がんが増えてきた理由は、食事の西洋化が原因だと云われている。C先生は和食にすることでこの問題が解決されるとの信念をお持ちである。おいらもその教えを守って来たのである。

 皆さんも、肉より魚にしませう。繊維質の野菜を食べませう。お酒もほどほどにしませう。大きなお世話ですか、ハイ(この項ホントニ終了)。


 2010年腸内視鏡検査の巻(前編)

 先月3日(木)、約1年振りに腸の内視鏡検査を受けた。


可憐な花


 これまでの人生で、都合3回、腸カメラを経験したことになる。

 これまでの2回の内容はこのブログでも比較的詳しく書き込んでいるので、前日から始まるドタバタはそちらを見て頂きたい。

 今回、書くのは、前2回が思い込んで受検した、つまりやるからには気合いを入れて受検したのに対し、今年の場合は出来れば避けたいという消極的な気持ちがあっての受検であった、からである。

 何故なら、はっきり云って、お尻からカメラ入れるなんて、やっぱやりたくないよねぇ~。

 しかし、今年の定期検診でも二日続けての潜血検査で二日とも陽性反応が出た。

 仕方がない。

 でも、考えてみれば、去年もそうで、ま、大腸がんの可能性がないとは云えないから、昨年のときは気合を入れて受検したのだ。

 この気合い、いつまでも続くとは限らない。

 よって、今年は「しょうがないのぅ」と思いながらの受検である。

 イヤイヤ受検する人のために今回のおいらのことを書く。

 前日。

 朝から「エニマクリン」という絶食用のレトルトを食すのである。

 朝食はこのエニマクリンのお粥である。愚妻が美味しそうに装ってくれるのだが、まずいものはまずい。

 昼は、会社で冷たいままの粥を食す(職場には電子レンジがない)。さすがにお腹が空くので、エニマクリン付属の間食を口にする。ビスコが旨い。まことに、ハンガーはベストソースである。

 夕食。ツルツルの味のスープのみ。味は塩味。不思議な味覚である。食べなければこの感触は分からない。

 9時過ぎに下剤「ラキソベロン」を飲んで寝ることになっているが、9時など早い時間に寝られる訳がない(なお、このラキソベロンは何故か容器が目薬とそっくり。間違えて点眼する人がいると思う)。

 結局、10時過ぎに下剤を飲んで、床に入る。本を読む訳にもいかず、おいらの好きなラジオを聞きながら就寝。やれやれ(この項続く)


 2010年腸内視鏡検査の巻(中編)

 さて、腸カメラの受検当日である。


パンジー


 朝の4時半ごろ、猛烈にお腹が痛くなった。下すときの感触である。

 昨夜の下剤がテキメンに効いたのだ。寝ぼけ眼でトイレまで駆け込む。広島弁で、お腹が「にがる(痛む)」。

 トイレに少し長居し、痛みが去った後で、再び就寝。

 この朝の「下し」が昨年との大きな違いであった。ほとんどお腹がカラッポになったのである。


 さて、8時半に病院に到着。

 ここからは昨年と同じだが、気が付いたことを少し述べよう。

 昨年と同じ看護師さんがビリー隊長を務めたのだが、今年の説明は簡便であった。

 この1年の間に何があったのだろう。それに、よほど看護師は忙しいのだろう。余裕がない感じで、少し気の毒である。

 説明が簡便で少なかったので、案の定、ニフレックをこぼすオジさんが出た。

 ところで、このニフレック、昨年より、気持ち、飲みやすくなっていた。味は昨夜のスープと同じで、ツルツルの塩味である。

 で、おいらは、今年もひたすら飲み続け、1.5リットル飲んだ段階でトイレに都合7回駆け込んだのである。嬉しかったのは、ニフレックが完璧な素通り状態になったので、1時間半で飲むのが免罪となったことである(通常は、2リットルを2時間かけて飲む)。おいらが第1号で、3階の検査室に行って良いこととなった。

 なお、今年も一人、いくら飲んでもトイレに行かないという便秘の王様が一人いたのぅ。

 もう一つ、気付いたことがある。

 今回も集合したのは昨年同様、8人であった。

 昨年書いた大きなポイントに、集まった人間の連帯感があった。これから皆、ニフレックを飲むぞ、腸カメラを入れるぞという連帯感であった。

 ところが、今年は誰一人として喋らないのである。ポセイドンアドベンチャーの、あの雰囲気に程遠いのである。最後までそうであった。

 今年の配分は男7、女1。年配が1。

 それに対して、昨年は男4、女3。年配2。

 結局、人生の機微は、配分なのかなぁ(この項続く)。


 2010年腸内視鏡検査の巻(後編)

 さて、検査は午後1時からの開始。おいらの順番は1番だったから、1時から即スタートかと思ったが、担当の先生の関係から1時15分開始(なお、検査の前の注射は痛かったが、それもそのときだけ。心配ご無用)。


春の花


 一昨年の下血のときは検査時間が1時間弱。このときはS字結腸からのカメラの入れ方に時間がかかったようである。昨年は巧くいって、これが30分弱。

 今年の結果はさらに巧く行き、約20分で終わったのじゃ。嬉しいのう。

 今回の検査の後、トイレに駆け込んだら便器が青い色に染まった。これは検査のときの色で、ちょっぴりサプライズ。

 ハイ、以上デ検査ハ終リデス。

 検査が終了した後、帰宅。愚妻の作ってくれた味噌味のお粥を食して(これがはらわたに染み透る。美味)、その後、仮眠。いや、ぐっすりと休み、元どおりに復調したのである。


 正式な結果は、昨年同様ポリープの組織検査次第となったため、翌々週、正式に判明した(<後日談>参照)。

 以上、今年の腸カメラの実況中継でありもした。


<後日談>

 検査の結果を聞きに行った。

 結論。

 小さめのポリープが二つあったのだが、いずれも昨年と同じで、悪性ではないという診断であった。

 陽性反応(出血)の理由は判明しないが、おいらは憩室炎なのでそれが原因の可能性もあるということである。ま、いずれにしても悪性の腫瘍ではないので、一安心。

 ところで、また来年、同時期に検査に来いということなので、いやいや行くことになるのかのぅ。

 今週の週刊現代に「長生きしたければ病院に行くな」と記事が掲載されている。

 やれやれ、おいらは長生きしたいとは思わないので、病院に行くことになるのかのぅ(この項終り)。


今年の定期健診結果

 今年の定期健診結果が出た。


花札


 良好であった。

 中性脂肪、コレステロール、肝機能、血糖値の全てが正常値の範囲内であり、メタボ判定も非該当である。

 特筆すべきは、ここ半年の間に野菜を中心とした食生活に換えたことである。食事の前に必ず野菜サラダを摂るようにしたのである。これを習慣として身につけたことが健診結果に大きく寄与したと思うのじゃよ。

 今では野菜抜きの食事は考えられない。変われば変わるものである。

 さて、この検診の前に今年も恒例の禁酒を2週間程行った。昨年末はことのほか忘年会が多く、いわば呑み溜めていたこともあって、さほど苦にはならなかった。禁酒するのに、一昔前の気合いはもはや必要ではない。

 備忘しておくとすれば、7日目が山だったことである。少し呑みたいと思ったが、特に問題もなく普段どおり酒を断った。検査日が13日だったから、12日間一滴も呑まなかった計算になる。

 吉田類氏と同じである。酒を断つのは難しくはない。それ以上に愉しいことがあればいつでも止められる。

 これをおいらの場合に当てはめると、健診の結果を愉しみにしたということであるから、ま、動機が不純と云われればそれも仕方がない。

 以上、他人(おいら)の健診結果が良かったからと云って喜ばれる読者諸兄がいるとは思えない。だが、それでも敢えて書きたかったのである。やっぱ、良かったのかのぅと。


 ところで、このブログ、写真の取り扱いが大幅に変更されて不便になった。どうにかならないものか。




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